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v dolini tihi in Ljubljana  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 6月23日(土)02時59分7秒
  前回スロベニアの首都Ljubljana(リュブリャナ)の真ん中を流れる川岸を散歩している時にどこからとも無くかすかに流れてきた聞き覚えのある美しい曲。 それはスロベニアの第2の国歌とも思えるv dolini tihiだった。 でも、どこから流れてくるのかわからない。 なんとか、その音の方向を捕まえてそちらに早く移動したいけど、周りの雑踏に流されてそこに近づけないまま、むなしくその方向を探る私のカメラ。
v dolini tihi at the river in Ljubljana
http://www.youtube.com/watch?v=8YNMLB0kW04
ジーっとにらんでいる方向が正しかったのです。 そこは広場でそこには市がたっていて、その市の片隅で若いスロベニアのアコグループが元気よく演奏していました。 雑踏を掻き分けて転びそうになりながらその方向へ向かう私。 100年の恋人に逢いに行くような胸の高鳴りを感じながら、と書くと大げさに聞こえるでしょうか? でもそうだったんです。 ほとんど、涙ぐんでいる私。
Slovenian Young Musicians in Ljubljana
http://www.youtube.com/watch?v=wYHPEl5IqPA
わざわざ当ても無いままに、嵐のなかをホテルの予約も無く、地図もないのに真夜中にたどり着いた大雨のLjubuljanaの翌日のきれいに雨に洗い流された素敵な川岸のプロムナードの脇の広場で偶然にもめぐり合った、まさをこれを探しにきた、そのスロベニア・サウンドにめぐり合えたなんて、感動でした。 そしてそれは楽しい音楽。 市場に買い物にきた一般客も観光客も足をとめて感動していました。 でも、一番感動していたのは絶対に僕だったでしょう。
Young Musician in Ljubljana (2)
http://www.youtube.com/watch?v=QS0lDQNC6Y8
ブラボー!
 
ま、松久院さんのメールアドレス  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 6月22日(金)07時16分54秒
  「ま、松久院」というお名前になさったんですね? あるいは、メールアドレスが変更になったのでしょうか? メールアドレスが変更になった場合は、投稿していただくときに、「投稿者」の下にある「メール」の欄にあたらしいメールアドレスを記入して置いてくださいね。
家内を里帰りさせた後の娘2人との生活はおおむね順調ですが、夕食のおかずを作りながらちびちびと飲んでいたら、いつの間にか飲みすぎていた。 料理は、うーむ、ちょっと失敗。 でも、娘らはなんとも言わず食べてくれたのでほっとしました。 いつもは、家内にどなられっぱなしの娘らも、いざ母親がいないと意外としっかりとなんでも自分らでやっているので、安心しました。 家内を一人で里帰りさせたのは子供の親離れと親の子離れを促進する狙いもあり、子供に独立心をつける目的もあったんですが、どうやら成功しつつあるように見える。 そして、普段はつい関係の薄くなる父親と娘らの生活もEnjoyしています。
 

Oh, 紫蘇ジュース!  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 6月21日(木)00時39分57秒
  日本民族と梅雨としそジュースは一体です。 おととい日本のという場所に戻ってまいりました。 翌日には家内がスイスに里帰り。 3週間の父と幼い娘2人の3人の生活の始まり。
お〜、赤紫蘇ジュース! そんな時期になったんですね。 カジッタの、ヘッタの、さくらこの、そんなレシピがうれしい。
今日から家内を3週間の実家Vacationにだした私としては絶好のチャレンジ。 よーし、作るぞ、赤紫蘇ジュース! 定年をお迎えの諸君、今年は万感の想いを込めて作る赤紫蘇ジュース! ぜひお試しあれ。
ところで、いい還暦をお迎えでしたか? 僕は沖縄にいて、社員にHappy Kanreki Birthday!"をCelebrateしてもらって、ヒデキ感激、ヒロシ還暦〜! でした。 皆様の還暦はいかがでしたか?

http://www.shinobugaoka.com/Recipi/Recipi.htm

 

日本着陸?  投稿者:デ・イーネ  投稿日:2007年 6月20日(水)23時37分37秒
  布施院様  きっと無事ご帰国のことと存じます。SCDLのタイトな旅の中、ほんの少しの時間を楽しく過ごす切り替えの見事さ、凄いです。ところで急に夏になってしまった日本、ちょっと動くと汗ばみ、この暑さに勝つには、あの「シソジュース」を飲むしかない。二日ほど前にやっとスーパーの店頭に手ごろな赤紫蘇を見かけ、今年一回目のジュースを作りました。お向かいのお嬢さんと管理人さんにプレゼントしました。ぜひ今年もご家族用に作って下さい。初めて見たときの強烈なまでの、クッキリとした紅色が何にも変え難い美しさ。眺めていると不思議な気分。リフレッシュにもなるので、シェフ・布施院氏の腕前を発揮して下さい。  では、また。  

メールがかわりました  投稿者:ま、松久院  投稿日:2007年 6月20日(水)22時09分3秒
  困ったことに,いろいろな物が壊れだし、ちょぴりへこんでいます。電話、お風呂、携帯、パソコン、、、、、。なにか法則でもあるのかしら?そんな訳で、アドレスかわりました。話かわって、友人で、料理の本を、自費出版したい、お金を、あまりかけずに、なんて都合のいいこと、かなえてくれる所ありましたら、ぜひ、教えてください。なにしろ、料理の写真が、入るので面倒な事になるのでは、と思っています。どうぞよろしくおねがいします。  

Copenhagen空港にて  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 6月18日(月)22時42分30秒
  東京行きのフライトが1時間遅れているあいだに、ちょっと今朝思いついたことを投稿。 自宅で朝がパン食の場合、たいていの場合パンは平たいので、バターを塗った後はその日食卓にあるものとか、冷蔵庫にあるものは何でも乗せて、ビッグマックもびっくりの山盛りオープンサンドにして食べるのが私流。 そんなことはしない人がほとんどだと思いますので、こんな考えは役に立たないパテントみたいなものなんですが、とりあえずご披露しますと、そんな山盛りオープンサンドをいざ食べようとするといくら口をあけても入らないので、フォークとナイフで端から切って食べようとするもの、山が崩れるわ、せっかく切っても口に入る前にせっかく乗せた山盛りのおかずが落っこちるわ、結局下のパンだけが口に入って残念無念という気分を味わうことになるのです。 そんなことだれもしないからこの残念間を共感してもらえないのがつらい。 ヨーロッパにくると、パンは往々にして丸いのです。 それを半分に切って、なんとかおわん状にして、その上に山盛りオープンサンドを作ろうとするのですが、下が丸だからすわりが悪い。 下手をすると沈没直前のタイタニック号のように傾く。 撃沈寸前の戦艦大和にたとえていい。 悲壮感がただよう。 何とかしなくてはいけないという焦りを感じる。 それをあわてて口に持っていっても口に入らないから、そこはいつもの手でナイフとフォークで切ろうとすると、下が丸いので、傾いていた船体が大きく揺らいで、まさに撃沈寸前のような垂直に立ったような形になる。乗員も船客も、いや、ハムも、野菜も、卵も、皆落下してしまう。 これはいかん。 これではいかん。 そこで考案したのが、さかさオープンサンド。 さかさくらげなどといって、昔は悪いことをする大人が行くところがありましたが、今はソーXとかいうそうですが、それとこれとはまったく関係ありません。 何をするかというと、まず、おさらにケチャップをぶちゅっとだしてそこそこ厚めに塗りたくる。 その上に、卵がゆでてあれば輪切りにしたり、細かくしたりして乗せる。 目玉焼きならそのまま載せてもOK。 その上に、ハムなどがあればさらに載せる。 その上に、レタスとかトマトなどの野菜を軽く載せる。 最後にバターを塗ったパンをおもむろに裏表逆にして載せる。 これで川井風さかさオープンサンドイッチの完成だ。 いつもは上のおかずがこぼれないように最新の注意を払ってナイフ・フォークを使っていたが、これならその心配は無い。 切ってフォークに刺した具沢山の一品はおかずのほうから先に舌に到達するので喜びが一段の深い。 これでなんの心配もなく食事を堪能した暁には最後のパンの端切れでお皿を拭き取れば貴族のおぼっちゃまですか?なんて聞かれたりすることは無いにしても、マナー上も問題ない。 問題が唯一あるとすればそんな食べ方する人はまずいないので、周りから丸に気印扱いされることがあるかもしれないが、時代を先取りする芸術家や発明家はだいたいその時代には受け入れられないものである。 やがて、さかさオープンサンドの父とかいうタイトルで小学校のお料理の時間に登場する日が無いとも限らない。 無い可能性のほうが現状ではかなり高いが、時代の先を行くとは常にそういうものだ。 ということで、いまの皆様の生きている間には評価されにくい新しい発想であるが、パテントをとるほどの技術でもなし、Air Portの待ち時間の時間つぶしとお笑いいただければ幸甚です。 あ〜、早く飛行機でてほしい。  

スロベニア寄り道旅行  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 6月17日(日)05時01分43秒
  イタリアでは週末までアコーディオンメーカーを訪問するなどして、あと数社寄る予定だったが、週末をまたずして、金曜日の午後3時半になぜか操縦桿を北に向けてルノーClioを発信させてしまったのは、急にスロベニア・サウンドがアコーディオンが聴きたくなってしまったためだ。 スロベニアは旧ユーゴスラビアのチトーの独裁共産主義のもと長くつらい時代が続いたが、かつてはハプルグルグ家のハンガリー・オーストリア帝国に併合されたりもした。 本来は小さな独立王国だったこともある。 それがチトーが倒れて、クロアチアなどとともに独立。 現在はEUのメンバーで通貨はユーロだ。 そんなスロベニアを見たかったのだ。 もちろんスロベニアサウンドも聴きたい。 さて、レンタカーについているカーナビで探そうとするが、スロバキアはでてくるがスロベニアはまだサポートされていない。 地図も無い。 時間も無い。 考えているより行動が先、でいつも失敗する私の頼りない旅の始まりだ。
イタリアのAnconaに近いCastelfidardoを出たのは金曜日午後3時半。 そろそろラッシュアワーだ。 さすがに高速も満員だ。 数珠繋ぎ状態でも皆さん飛ばすこと。 Ancona、 Rimini、 Bologna、ときて、PO河を過ぎるあたりの大平原は例のシルバーナ・マンガーノ「苦い米」の舞台だ。 お父さんたちの憧れの女優の一人だったかな? そんなことを考えているうちにVeneziaの手前で大渋滞。 行く手には暗雲が立ち込め地上に落雷が続いている。 渋滞にはまって、2時間近くロスするあいだに、空は暗雲に立ち込められ大粒の雨が降り出し、やがては車軸を流さんばかりの大雨が夜中まで続く。 地図無し、どんどん狭くなる濡れた高速道路は真っ暗でよく見えない。 それでもイタリアの東のはずれTriesteまで到着。 時計はすでに夜の11時。 500kmに6時間半かかっている。 さて、これからスロベニア、目指すはとりあえず首都のLjubljanaだ。 幸い高速の標識があり、旧国境も今はパスコントロールもアットランダムに行う程度。 午後11時半には入ったぞ〜! は、いいんですけど、Hotelの予約もない。 Sloveniaに入ってすぐ道路は山道となる。 そこには谷間ごとに山姥の白髪のごとき深い霧がす〜っと目の前に飛び込んでくる。 一瞬にしてミルクの中に飛び込んだ感じといえばいいんだろうか、何も見えない。 時速は100km以上でている。 これ、かなり怖い。 あわててブレーキを踏むと、後ろからトラックのライトが急に近づいてくる。 これもかなり怖い。 仕方なく、何も見えないけど、かなりの高速で走るほかの車のお尻について盲目爆走。 これかなり危険。 これやめましょうね。 やがて、深い霧はたらいをひっくり返したような集中豪雨に変わり、なんとか前が見えるかなと思うとこれも見えない。 ワイパーを最速にしても見えない。 くたくたになってLjubljanaに到着してみれば、金曜日の夜、ホテルはどこも満員。 たらいをひっくり返したような雨の中、1センチ以上もある道路の冠水を靴下もびしょびしょ、髪の毛びしょびしょになりながら部屋を探すがだめ。 市内をあきらめて郊外にホテルを求めて向かう途中で幸運にも1部屋空きがあるホテルに投宿。 就寝午前2時でした。
今朝は、低気圧去って、青い空、白い雲、さわやかな高原の空気と風。 さぁ、今日は車でFrankfurtへ帰る道すがら、ちょっと立ち寄っただけの町だけど、ちょっとだけ市内見物してスロベニア・サウンドのCDでも買って出発だ、と街にでてみれば、市内を流れるLjubjanica川の両岸はロマンチックなたたずまいの建物にはりだしたテラスやいす・テーブルに人々が朝のコーヒーを飲みながら新聞を読んだり、談笑したり、風に吹かれて気持ちよそうにしている。 とても絵になる風景・風情。 教会や街内、川岸などを写真におさめて、アイスクリームスタンドでそれはそれはおいしいアイスクリームをなめながらあるいていると、なんとどこからか、かすかにかすかにアコの音が聞こえてくる気がする。 それで、耳をすませてその方向を見やると、そこは街の広場で、そこには市が立っている。 その市の一角でどうもアコ弾きがいる様子。 人を掻き分けながらすすむとだんだんとメロディーがわかってきた。 そして、一瞬、稲妻に襲われたような感動を覚えたのはなぜかといえば、それはほとんどSloveniaの第2の国歌ともいえそうな、Lojze Slak楽団の V lini tihiだったのだ! その曲でアコの場所がわかるなんて、ウッ、ウッ、泣きそう。 歌っていたのはアコ一人、ギター二人の若者のグループだった。 StyrischアコはLanzingerほか3台を弾き分けていた。 すばらしい演奏だ。 まさにスロベニア・サウンドだ。 これを聴きにきたのだ。 それが聴けたのだ。 ヒデキ感激〜! ヒロシ還暦〜! デジカメのムービーにとりました。 映像はあまりよくありませんが、音は大丈夫なはず。 帰国後You Tubeにアップしますね。 いや〜、感激だった。 思わず演奏後、グループのアコ弾きに近づき、あなたのファンです、日本から来ました、みたいなことをいっている私。 なかなかの好青年で馬力があり、演奏・歌ともに立派だった。 CDを出す予定とのことだったので、出たら教えてくれと頼んでおきました。
さて、昼飯時となり、ホテルで聞いた、夜にはアコ演奏があるというレストランにいった。 Sokolという店でした。 店員に聞いたら、アコ演奏、そんなものやったことない、とつれない返事。 で、仕方なくビールを頼むと、出てきたのが「Sokol」というラベルのビール。 自家醸造とのこと。 で、これが飛びぬけてうまい。 で、耳をすますとなんと、聞こえてきたのはTurbo Engelesのおなじみの曲だった。 食べたのは豚の胃袋の煮込みとポレンタ。 なかなか親しみのある食べ物ですが、気持ち悪いと敬遠する人もいるのは世の常。 私は味わって楽しんじゃいましたけど。さて、腹ごしらえもできたので、再度、広場のアコを聞きに行く。 アシスタントの女性がこれまた飛びぬけた美人だったので、演奏のMovieをとりながら目線はどうもそちらに流れ勝ち。 還暦を迎えても男はやはり男なんですね。 そういえば、Ljubljanaは美男・美女の宝庫だなぁ〜。 それが滞在を伸ばした理由ではありませんが、街を歩いていてもなぜか心がうきうきするのはそのせいもまったくないかといえばうそになる。 もっとも、美男にはあまり興味ありません。 念のため。 さて、次はCDだ。 ホテルで聞いた場所にはCD屋はありませんでした(どうもHotel情報には問題があるなぁ)が、その近所にあったので許す。 そこで、スロベニア・サウンドのアコのCDをください、というと、この辺にあるわよ、と女店員がいうので、じゃ、それ全部、と注文すると、あんた、気〜狂ってんじゃないの? と彼女に顔に書いてありました。 が、買いました、31枚。 Atomik Harmonikも一枚だけありました。 他のは売り切れ。 DVDは無し。 もう一件CD屋を見つけました。 なかなか美人の店員さん(また女性のことばかり見ている。 美人だと呼び方が変わるのに気づく私)に、あの〜Atomik HarmonikなんてグループのCDありますか? とおそるおそる聞いてみると、あーら、なんでそんなナウいものご存知でいらっしゃいますの? なんて、微笑みをくれるので、顔がくすぐったい。 いや〜、あ、なんと答えたか覚えてません。 それで、Turbo Angelesなんかもありますか? と聞いてみると、また、その美しい顔をさらにやさしい微笑で満たして(どうして、美人には表現まで変わるんだろう)、まぁ、そんなグループまでどうしてご存知なの? なんて、驚いた顔をして僕の目を覗き込んでくれるので、夢かまことかほとんど状況把握困難状態。 それは売り切れです、の言葉で現実に戻る。 それでも、そんな趣味の音楽がお好きでしたら、こちらもお勧めですとCDを5枚だしてくれるので、はい、全部いただきます、とCDも見ずに彼女の目を見ながら話している私。 聞けば、もと、当地に来ていた日本人整体師のところで仕事をしたことあったが、法律変更で整体では営業ができないことになり、彼は泣く泣く日本に帰国したとの話でした。 カードで購入するとき、オナマエワナンデスカと片言の日本語で言ってくれて、もう抱きしめたいほど好感をもちましたが、さようなら、楽しい時間をありがとう。
そして、明日はいよいよ延ばし延ばしにしていたアルプス越え。 FillachからKaravandelトンネルをぬけ、Salzburgに入り、ミュンヘン、ニュルンベルグ、ヴュルツブルグ、とこえて、Frankfurt郊外のワインの産地、Hochheim am Mainに投宿予定だが、一日で走れ切れないときは予約してあるフライトは僕をおいて飛び立つことになる。 そのリスクを犯してしまった私。 それをさせてのはLjubljana、スロベニアサウンドです。

http://www.youtube.com/watch?v=KJJyUiea4uk&mode=related&search=

 

スロベニアからこんにちわ!  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 6月16日(土)17時29分35秒
  デ・イーネ様、ご投稿ありがとうございます。
今日はスロベニアの首都Ljubljana(リュブリアナ)から投稿しています。 昨日の午後3時ごろイタリアのAnconaの近くの町Castelfidardoを予定より1日早く出発し、ドイツのFrankfurtへ車で帰る道すがら、大きく寄り道をして600km走り、スロベニアのLjublianaに真夜中到着。 詳細レポートは後ほど。 これからこの小京都のようにしっとりと落ち着いたLjubljanaの町のCDショップをさがして、スロベニアサウンドのアコのCDとかDVDを山ほど買うのだ。 やったぁ。
 

旅の思い出  投稿者:デ・イーネ  投稿日:2007年 6月16日(土)01時09分25秒
  布施院様の旅行記を読ませてもらいました。5月末日からずっと記載が無かったので、どうしたかな?と思っていました。ずっと忙しかったのですね。私はしばらく海外に出て行く機会を逃していますが、あまりに懐かしい曲と地名に思わず投稿することにしました。日本では森山加代子が歌っていた「月影のナポリ」を大胆にもイタリアで口ずさみ店員さんに拍手と失笑を貰ったのを思い出しました。フィレンツェのアクセサリー店に月をデザインしたものがあり、イタリア人は月が好きです。それで知ったかぶりをして「ルナ」ティンタレーラディルーナっと歌いました。少し値段をオマケしてくれました。
インスブルックでは市内からサウンド・オブ・ミュージックの撮影をした山間部まで移動するのに目的地を告げ、プラットフォームナンバーを尋ねると、チケット売り場の人は、アウトサイドと答え、友人と顔を見合わせアウトサイドと繰り返し、駅からオモテにでた。そこには、路面電車の停留所があり、看板を見ると目的地名があり、二人で安心して電車に乗り込んだ記憶が昨日のことのように思い出された。町中から、15分も乗ると急に斜度を付け出し、牧草地に羊や牛が草をはむ姿がアチラコチラに見え、ハイヂが出てきそうな木造の家が何軒か見えてきて、正にイメージ通りのチロル、インスブルックがアルプスの麓の町であることを実感させられた。冬季オリンピックの町として記憶していましたが、静かな落ち着いた洗練された小さな町。そして郊外には最近はやりのビーズの会社スワロフスキーのある町です。クリスタルの土産品だけと思っていましたが外貨獲得に一役かっています。ひんやりとして澄み切った空気のヨーロッパの城下町、旧市街と新市街とで構成された町でした。
以上何年か前の珍道中の一コマを綴って見ました。  デ・イーネ



イタリア紀行(2)  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 6月14日(木)13時09分24秒
  Frankfurt Airportで本業の取引先ご一行を見送ってから、混雑していたレンタカーの窓口でやっと順番が回ってきたときには時計はすでに12時を回っていた。 今日中にイタリアのアドリア海に近いAnconaからCastelfidardoに到着するにはこれから1200kmを走らなければいけない。 あせる気持ちでレンタル手続きをしていると、このレンタカー屋が軒を並べるAirportの一角だけが全員緊急避難の命令がでて、全員屋外に追い出された。 テロリストか愉快犯か不明だが、爆弾をしかけたとの情報だった。 そんなこともあり、さらに手続きが遅れ、出発できたのは午後2時近く。 久しぶりの左ハンドル、右側走行に緊張するためか、昨晩までの旅の疲れか、アウトバーンでのなれない高速走行のせいか、短時間の走行で一気に疲労が襲ってくる。 時速200km近くでの居眠り運転は即死の可能性が高い。 幾度となく、パーキングエリアで休息をとりながらの前進なので、はじめの100kmを走るのに3時間も要している。 これでは今日中にCastelfidardoにはたどりつけない。 ガムを噛み、水を飲み、歌を歌う、が眠くなる。 それでも400km走破してやっとミュンヘン到着、渋滞に巻き込まれる。 渋滞中に一天にわかに掻き曇り、暗雲のなかから稲妻が走る。 バケツをひっくり返したような局地的集中豪雨。 渋滞が解けてもワイパーが役にたたず緩行を余儀なくされる。 それでもじっと我慢の子、夕闇迫るころ、オーストリアのインスブルックに到着。 四方を山にかこまれているせいか、いまだに厚い暗雲と雨のせいか、緯度を南下したせいか、日の暮れるのが早い。 もうとっぷりと日が暮れている。 まだ500kmをちょっと越えたところで、あと700km残っている。 そのころには疲れも峠を越したので、もう一踏ん張りということで、アルプスのベルナー峠越えにチャレンジ。 峠を越えたところはすでにイタリアだ。 イタリアとはいえ、この地域は「南チロル」地方で、かつてはハンガリー・オーストリア帝国の一部、ドイツ系住民が多くすむ地域。 アルプスの南斜面にあるこの地域は、緑深い美しい自然に囲まれた落ち着いた雰囲気の果物に恵まれた豊かな地域だ。 峠を越えて間もないBrixenの村に投宿した。 谷川のせせらぎの聞こえる、小鳥の声に満ちた、緑の山に囲まれた空間にいるとなぜかとても懐かしい気持ちが湧いてくる。 ドイツ・オーストリアのベースにイタリアの気分が溶け込んだこの地方のこの気分はなんと表現したらいいんだろう。 きっと、Steyrischアコなどでの楽しい音楽があるに違いないなどと想像していたが、今回のAlbergoには無かった。
一夜明けて、窓をあければ窓辺まで迫る山また山。 空は相変わらず厚い雲に覆われている。 今日はあと600kmを走破して、何とか午後のミーティングには到着したい。 午前中のアポをキャンセルすると後は、午後3時にならないとあってもらえないのがイタリア式。 ゆっくりお昼に時間をかけるためです。 昼休み3時間! これなら確かに人生を楽しめるはずだ。 ゆったりとした気分での楽しい食事、会話、そしてアモーレ。 どうも、この辺のQuality of lifeはどう見てもイタリアの人のほうが豊かだなぁと思う。 貧乏性の日本の旅人一人は朝飯もそこそこにまたイタリアの高速道路をぶっ飛ばし、今回は何軒アコメーカーにアポがとれるのだろうかとあくせくするのでした。 写真は雨のアルプス越え。 (続く)